あなたが知らなかったお茶 にまつわる、歴史上の人物 情報選択の自由

 

福来茶留あわちゃんです

今日はお茶にまつわる歴史上の人物の貢献について

書いてみました。

最後まで購読お願いします。

お茶 歴史 人物の情報

人類史上最初にお茶をはじめて口にしたのが

神農と言われております。

 5000年前になるそうです。

お茶発祥の国中国からの歴史として物語っています。

長い歴史の中で、お茶をはじめて飲んだ人物が

医薬と農業を司る神として崇められた皇帝、神農だと言われています。

草木の薬効を調査するために野山を駆け巡り自分で服用して試すことで

効能を試していたそうです。その中にお茶の話があります

体に良いものもあれば毒もあったと思います。

毒にあたり苦しんでいて休息してるときにお湯を沸かし途中に

一枚の葉っぱが湯の中に入りそのまま煎じて飲んだところ

神農がそれを口にすると、そのおかげで毒は消え体調が回復したのです。

その葉っぱがお茶だったのです。

その後毒におかされるたびに

茶の葉を噛んで毒を消したと伝えられています。

なので健康上体内の毒消しとして考えられると

思いました。自然の力に感激してます。

中国の皇帝が2100年前に好んだお茶があるそうです。

中国で書かれた医学書の中の

『神農本草記』にもお茶についての

記述が残されていたのですが

中国皇帝の墓から、世界最古の茶葉の固まりが発見されたのです。

当時にお茶が飲まれていたことの確かな証になりました。

618~907年に飲まれていたもので

世界最古のお茶の専門書『茶経』

中国の陸羽(りくう)によって世界最古のお茶の専門書『茶経』

    陸羽(りくう)

が書かれました。この中には

茶の製茶法や飲み方、道具のことなど

お茶に関するあらゆる知識が書いてあるものです。

中国の茶文化に大きな影響を与えた人物が

陸羽は、茶聖(茶の聖人)と呼ばれ、

中国で崇められる存在です。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本にお茶をもたらした「遣唐使」や「僧」である人物

中国に渡った遣唐使や留学僧によって日本に伝来されたのです。

天台宗の開祖・最澄は、中国から茶の種と喫茶のもてなし法と習わしを持ち帰りました

持って帰った茶の種を比叡山のふもとで育てのが始まり

僧の永忠嵯峨天皇に茶を煎じて献上したと書かれています。

嵯峨天皇は、近江、丹波、播磨などにお茶を植えること命じ、

毎年献上させていた。そのくらいお茶好きだったそうです。

なので由緒ある神社では毎年献上茶祭が行われております。

こんなことから神と仏教の縁の繋がりがうかがわれていのではないでしょうか?

お茶 歴史 人物で昔ばな しをしたいと思います。

真言宗の開祖・空海は中国現地で茶文化に触れる

日本に中国の喫茶文化を伝えた言われています。

なので空海も最澄や永忠もお茶をこのんでいたそうで

健康的で貴重な飲み物でした。

栄西によつて日本茶喫茶が始まり茶の湯のルーツにもなった「抹茶法」

将軍・源実朝に『喫茶養生記』を献上した後

「無料の将軍・源...」の画像検索結果  

      将軍・源実朝

二日酔いで気分が悪かった源実朝にお茶を飲ませ、二日酔いがよくなり

大変喜んだそうです。

平安時代に日本の茶文化の発展に大きく貢献しております。

ここでお茶の産地である佐賀の嬉野、福岡の八女宮崎の高千穂、日向の

焼き畑農耕でお茶の栽培、山茶の自然茶の歴史があります。

なので当時の貿易国の港として長崎であるためお茶のルーツは

流れから考えても最古のお茶文化の始まりは佐賀と八女にあると

思います。其のわけは、鎌倉時代初期の1191年、中国に渡った僧の栄西

佐賀に帰国の際各地方に種をまきながら帰途したことです。

栄西の行いが庶民にまでお茶が普及するようになった原点です。

豊臣秀吉と右田三成の緑はお茶がきっかけ!

お茶がきっかけで縁ができた話なのですが

太閤秀吉の時代になります。

         太閤秀吉

秀吉がある日鷹狩りに出かけたときにね山野の中を散策していたところ

途中で喉が渇いたので、山寺で憩い、茶を求めたのですが

その寺の眉目秀麗なる小坊主、佐吉という人物

大茶碗にたっぷりぬるい抹茶をたてて捧げたのです。

秀吉が一服と所望すると次にやや熱くした半分の量を捧げましたところ、

こころみに三度所望したそうです。

すると最後は小茶碗にいとも少量を熱くして 恭しく進めたのですが、

秀吉は心が通じたのか才知に感じ入り和尚

その坊主を連れ帰り、近侍としたそうです。

その人が天下に名をなした器量人、石田三成と言われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          

 

 

          石田三成

こんなことから。飲み手のことを考えて茶を入れる心が

喫茶の心となり人間として真子心と心が伝わる

引き金になり縁が生まれるのではないでしょうか?

豊臣秀吉と石田三成の縁がとても面白いと思います。

日本茶輸出 歴史はレベル高いな、と思うだろう。それが日本茶文化。

福来茶留あわちゃんです

今日の課題は日本茶が世界的に健康に良いことで認められ

注目浴びているが歴史上輸出についていろいろ問題があったようです。

日本茶輸出の歴史

1.お茶が最初に輸出されたのが歴史上1610 年ごろ

オランダの東インド企業が、

長崎の平戸からヨーロッパの日本茶を輸出された

のが日本で最初に輸出されたのが始まりです。

「日本茶貿易港」の画像検索結果

当時黒船来航後に、世界中と親善通商条約が結ばれて

1859 年安政 6 年に最も重要な輸出商品として 181 トンあまりが輸出

されていたそうです。1882年明治のころには生産量の実に 82%が輸出されていた

それ以後、決定的な輸出品として国中の業界開設に寄与することになり

お茶と絹糸と一緒に重要な輸出品となったそうです。その主な輸出先はアメリカ合衆国であった

日本で当時輸出できる地域の港開港場は全国で五港しかなかった。

明治元年にはこのうちお茶を取り扱うことができるのは

横浜、神戸、長崎の三港と決められていて

 

静岡からお茶を海外に輸出するには横浜港まで運ばなくてはいけなかったそうです。

さらに、「輸出」としても、何を隠そう

「外商」という様な国外の貿易商会社が出てきて輸出を引き受けていたため、

加工側から想定すると、外商へお茶を取り引きするに過ぎず、

産地の仲買業者や問屋商社に売り渡すと不利な取引を増したり、

目先の利益ために粗末なお茶を販売して信頼を落としたり

することもあり価格が安定してなかったのです。

その上、横浜港への運送代金の負担が大きく、

産地へかかる利益はちょっとしたものであった

こうしたした理由から、静岡の茶業関与機関において

「直輸出」へのタイミングとして高まった

「直輸出」で外国と直接取引きできたら中間時点の費用が軽減できるに関係なく、

外商に不利益な取引を押し付けられることもいらず、

また海外相場のニーズに応じた生産も可能になり

有利な取引が期待できると考えられていた。

静岡県内でも茶の輸出は横浜港まで運び集めることで

県内の様々な産地が最寄りの港から行っていました。

その当時茶の移出港としては沼津、清水、焼津、相良、福田、川崎牧之原市、地頭方等があった

このような現状を打破され茶産地・静岡でも直輸出される動きが活発化したそうです。

一番の中心港として舞台となるのが清水港でした。

そして産地が横浜などの開港上を通らず

産地近くの港から直接海外へ搬出することになつた。

いわば能力的な直輸出を行うという意味での「直輸出」の大きな引き金となることが

明治 22 年の東海道線の全線開通にあるそうです

鉄道開化により静岡で集められたお茶は鉄道を利用され清水港の海運業は急に

衰退を余儀なくされていったのである 

そこで明治 24 年に「特別貿易港」指定への請願書を提出されたのです。

清水港からの輸出の方が経費節減できいろんなコスト低減ができ

メリットある輸出ができると促進される

このことが県内の利益として製茶業の発展になった。

国内の産業として明治維新以降、積極的な殖産興業策により

近代化を推し進めようとする政府に熱い思いを届けた。

明治 29 年には、国会、政府へと働き掛けることで「開港外貿易港」の指定して得た

そのほか、3 年あとの明治 32 年、清水港は全国 22 港の一つとして 

海外貿易の開港場に指定され、直輸出発展に関して巨大な動き出した。

なぜでしょうかその後清水港に日本輸出のための船が入港しなくなったそうです。

その分けは当時の清水には日本茶の再製する工場がなかったので

お茶に関しては便利の良さから依然として横浜港からの輸出されていた。

そして産地からの直輸出実現への最後の大きな扉は

静岡県茶業組合連合会議所の海野孝三郎氏らにより開化された。

海野氏が静岡市に静岡製茶再製工場を創設し日本郵船と交渉の末

外国航路の始まりとなった。その後日本郵船の神奈川丸が清水港に入港したのが

1906 年明治 39 年 5 月でここから大きく変化した明治 41 年には神戸港が

明治 42 年には横浜港を抜いたことで

 

全国茶輸出高の 77 パーセントを占め、名実共に日本一の日本茶輸出港となった。

そのころアメリカ合衆国は英国に遅れて、紅茶の消費が徐々に増え他為に紅茶が

輸入量が緑茶を上回るに至ったなのでは低迷を続けた。

第次世界大戦に伴う特需。日本緑茶とインド・セイロン紅茶とでは、

後者の大規模製茶機械加工、

冬場まで茶葉を摘める有利性、使用する低賃金クーリー労働力といった生産性格差、

 粗製茶により日本茶の信用の低下、

何より当時の流通技術では品質保持が紅茶に有利という点から日本緑茶

その後、年々増加し 2005 年には 1000t 台、2010 年には 2000t 台までになった。

輸出が増えた理由としては日本茶の品質の高さや機能性が評価されたことが挙げられる

しかし、品質は優れていても中国茶などと比べると高価であることで

日本茶の輸出も 1891 年の 2.4 万トンのピークの後、長期低迷の時期に入ったそうです

このことから日本茶文化での需要効果高めるために

いろんなイベントを開催して普及を図っています

  ★飲む普及

  ★食べる為の普及

  ★…お茶摘み体験、お茶の工場見学、お茶料理

  ★お茶に関する観光提案

  ★お茶フェス喫茶

、国内の輸出茶生産体制、各国の輸入条件に合った輸出体制等を整備し

 きれていないことなどが問題として挙げられ 

 さらに輸出を増やしていくにはこの点を解決する必要があると判断され

 輸出問題で協議されています。

 
  ★日本茶輸出促進協議会 日本茶輸出の歴史

    http://www.nihon-cha.or.jp/export/trends.html
  ★日本茶輸出の歴史に学ぶ清水港茶輸出開始から 100 年

    http://www.city.shizuoka.jp/000_004229.html
  ★[戦前の茶輸出 清水港と製茶

    http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/50/1/ssr4-53.pdf
  ★日本茶輸出促進協議会 日本茶輸出の歴史

    http://www.nihon-cha.or.jp/export/trends.html

今日本の茶が世界で注目されている。各国によってそれぞれ強み弱みがあるが

その点も踏まえたうえでのみ下降傾向にあるがそれ以外の国々では

今後の茶の輸出、日本の茶の可能性は大きくみられる。

少しずつではありますが

世界でも日本の茶の効果に注目され煎茶や玉露などを提供しているお茶販売店を買収し

で健康志向の食生活、健康食品など

に注目があるため日本の茶における効果にも大きな期待がかけられている。

緑茶には様々な効能がある。

いくつか挙げてみると、緑茶には老化防腐剤が含まれており、飲む

だけでお肌の老化を防ぎ若々しさを保つことがで切ることに加えて、
★アンチエイジング効果によりお肌清潔効果

★外的要因に破壊されるのを防ぐことができる。

★多くのタイプのがんの予防になり

★動脈硬化や糖尿病、脳卒中などの病気予防にも効果

★血糖値を下げる作用や体内に善玉コレステロールを増やす効果

★うがいをするとインフルエンザ予防

★アロマ効果でストレス解消、二日酔い防止、眠気覚まし、

★成人病予防になったりする効能がある。

★動脈硬化や糖尿病、脳卒中などの病気予防にも効果

★健康上見直しされて向上しており良さと強みのある効果

薬妙効果が優れていることで人気が世界的に人が出ているのが現実
特に掛川の深蒸しが人気が出ている

なので世界的に緑茶の良さが伝えられることになったそうです
その他にイベントを主催されています。

★海外の抹茶とカフェ文化を融合したカフェ…オーストラリアのカフェを再現

★温泉お茶の湯・茶を使った食事・茶を使った洗剤、美容用品提供

★日本人は外国人に比べ民宿よりもテーマパークなど世界観が完成させられた宿泊施設を好むため抹茶パ
 ークに隣接する。
★テーマパークにあわせルームを作り、宿泊者に向けた抹茶料理や茶道体験、お茶の香り

★アロマなど地域の名産品にと混ぜ提供する。

外国人旅行者は長期滞在する傾向にあるため、ホテルの豪華な食事に飽きるという結果

これだけ日本茶文化の健康的要素が含まれたものがある強みを全世界また日本の生活に

取り入れる誇りをもってほしいと思います。

 最後まで購読ありがとうございました。

                    福来茶留あわちゃんでした。

 

 

 

 

 

 

お茶が昔から薬用効果、特に不老長寿の霊薬としての神秘的な薬用効能

福来茶留あわちゃんです

今日はお茶の起源について投稿してみました。

少しずつお茶について興味もつて頂けると嬉しいです。

「お茶の起源」

【売れる前から知ってたよ、このお茶の起源、ワイルドだろぉ」と将来自慢できる】

 お茶のこと深堀していくと面白いことが分かりました。

文化伝説の中のお茶の起源についての話

三国時代の天地開闢説による伝説が茶の始まりで

三人の皇帝(、三人の皇帝(伏義氏、、女媧氏、炎帝神農氏)

天地創造の神話の中に登場しております。

炎帝神農

★伏義氏は食物のことを人々に伝えたとあり

人面蛇身といわれ中国の伝説上の皇帝だそうです。

日本では「白蛇伝」で知られるあの話。

中国では、それが杭州西湖にある雷峰塔の縁起話として有名な話

それも、現代の中国になって魯迅などの文人たちが伝統文化の最批判

になっているそうです。

★女媧氏とは

人面蛇身の女性で子孫を生んだといわれる

★炎帝神農氏とは

産業を興し、医術を教得ていた

火をつかさどり、火の使い方を教えることで優れた知性の神で知られて言います。

医術の神で衛生的であり、生水を飲」ことせず

火を使って水を煮沸して飲むことを人々に伝えることで安全を図った。

神農自らも煮沸 したお湯で飲用していたそうです。

お湯を沸かしているとき風が吹いてきて木から3枚の葉が舞い落ちて一緒に煎じられ

その湯を飲んだら香り良く味の良い真野(まのあたり)だったそうです。

それを調べてみたらお茶の木だったそうです。

木の葉のことを人々に伝えて美味しく飲むことを教えたそうです。

これがお茶の始まりなのです。

その後インドの僧侶である、若き日の達磨さんが禅の修業のため

面壁9年の座禅修行に入り座禅3年目はいり

猛烈な睡魔に襲われて眠気がでて、

修行も打ち切らねばならないほど眠くなったのでした

その時一本の木がみるみる置きくなつて緑の葉はっぱが茂ったそうです。

葉をたべたところ目が覚めて無事修業を完成したそうです。

神話伝説の根拠はないが

茶の始まりは中国であり、茶が昔から薬用効果があり、

特に不老長寿の霊薬としての神秘的な薬用効能があると重視され

一般的な飲み物となる前には

茶は仙薬なり、延命の妙術なり

   

 

 

 

 

 

 

 

宗教的、政治的、儀式的なものとなり禅や茶道に発展した言われています。

日本の修業した後この樹を持ち帰り薬妙なりと伝えられたそうです。

茶の古典「茶経」は

茶の植生、用途、製造方法、製造機具、茶の入れ方、茶道具など、

当時の茶の全てを解説してあり

この書によって中国はもとより世界各国に茶が知れわたり、

今日の茶業の隆盛とみて陸羽は「茶神」として崇め奉られているようです。

今でも神社では献上茶として奉納されております。

 茶商組合の一連の流れとして生産者と販売業者の間で神前に

奉納されております。

 最後まで購読ありがとうございました。

               福来茶留あわちゃんでした。

それが栄西禅師 お茶を買わない理由であってはいけないと思う。

福来茶留あわちゃんです。

お茶と関連のある栄西について投稿しました。

建仁寺開山・栄西禅師について

開山千光祖師明庵栄西(みんなんようさい)禅師。

賀陽(かや)氏の子として誕生したそうです。

永治元年(1141年)4月20日、備中(岡山県)吉備津宮の社家、

若いときから仏前の執行かさね

11歳で地元安養寺の静心(じょうしん)和尚に師事し、

13歳で比叡山延暦寺に登り翌年得度、天台・密教を修学します。

そののち、宋での禅宗の盛んなることを知り、

28歳と47歳に二度の渡宋を果たします。

2回目の入宋においてはインドへの巡蹟を目指すも果たせず

天台山に登り、万年寺の住持虚庵懐敞(きあんえじょう)のもとで

5年に亘り修行しその法を受け継いで日本に帰国しました。

その時持ち帰ったのが現在の茶種です

茶色の豆みたいな丸いものです。茶の実と言っていましたが

茶園に行くとたくさん枝元に落ちていました。

可愛い一輪の花が咲きそのあと茶色い実になります。

 

 

ひとつ入り茶の実三つの茶の実ひとつ割れ

茶の花は9月から11月にかけて咲きます。昆虫などによって花粉受粉し、

ほぼ1年後の秋に種子が熟し、地面に落ちます。

1つの実の中に1粒から5粒くらいの種子が入っています。

翌年の春に発芽します

栄西禅師が、中国から茶種を持ち帰り

もう疲れた!という人に勇気を与える栄西禅師

中国から茶種を持ち帰って日本において栽培を奨励しでありたい。

建仁寺開山・栄西禅師が、古く奈良朝時代と思われます

中国から茶種を持ち帰って日本において栽培を奨励され

貴族・僧侶の上流社会の間に喫茶の風が愛用されていました。

茶道の喫茶の法を普及された基本と原点です。

一般の人に対して茶は保健上から良薬であると、伝えられ

茶徳を讃得たのが開山の『喫茶養生記』に書いてあるそうです。

「茶は養生の仙薬・延齢の妙術である」つまりこの茶葉は薬妙なりと伝えられている

ので健康には役立つと思われます。

開山が栂尾の明恵上人に茶種を贈られたことも有名で

宇治の茶は、この栂尾から移され

喫茶として「栂尾茶」の始まり

茶は今日では日本人の日常生活に欠くことのできない飲料であるばかりでなく、

茶道の心得として役立っています

このことを知れば真心こもったもてなしができます。日本の誉です。

喫茶の法、茶樹の栽培、薬効等茶に関する総合的な著述になっています。

我が国にも茶樹がなかったわけでも、喫茶の風がなかったわけでもありません

詳しいことはわかりませんが田舎に行きますと山茶という呼ばれる茶の木があり

自然のものですが日本の西南暖地の山間には山茶と呼ばれる茶の木があり

日本に古来ある自生茶といわれています。

この茶の木が果たして日本 山茶の分布する所には必ずといえるほど

焼畑耕作の形跡があり、

その昔焼畑として茶の木を植えていたことがうかがえます

山茶に限らず日本の茶の木には冬芽が形成されずに

温度条件がよければ何時でも生長します。

冬を知らない芽がない南方の植物になるそうです。

なのでお茶のルーツの始まりの流れがわかっていただけると思います。

つまり佐賀九州に広まり宮崎の日向、高千穂の自然の山茶も有名です。

関東で早いのはわかっていただけると思います。

そんな中こんな説もあります。

 

山茶が焼畑地帯に分布することから日本の山茶は

弥生時代、古墳時代のものではないかと見られる

説があるが遺跡は全くありませんとあります。

最後まで購読ありがとうございました。

                 福来茶留あわちゃんでした。

 

 

 

日本最古のお茶のルーツ&ピース。日本最古のお茶のルーツは愛そのもの。

福来茶留あわちゃんです。

★「日本最古のお茶」

あわじ園日本茶紀行

貴方様の名前にも先祖の歴史のルーツがあります。

一生涯の中でルーツぐらいは知りたいと思いませんか?

文化の始まり、当時の生活の在り方。価値など知ることだ

思っております。そのことを次世代に知識として繋ぐことで

日本文化の価値観を思考いただければと思います。

今日は日本茶のルーツがどんな流れで誰が伝えたのか知ることで

日本文化の必要性と生活の為の大切さを知ることで

どんな目的で日本で普及したのか解って頂けると思います。

あわじ園日本茶紀行お茶を学ぶ人にも家族がいる日本最古のお茶は近づいてこない

こんな日本最古のお茶、学べるか!と怒鳴られた悔しさといったら!?

お茶の発見は紀元前2700年ころの神農時代であり

中国の神農が野草とお茶の葉を食べていたと伝えられています

また三国時代(3世紀)に中国では茶の葉を餅状に丸めあぶって

搗(つ)き、湯をかけ、みかんの皮、ねぎ、しょうがなどと混ぜて、

他の材料と一緒に煮るスープみたいにして飲まれていたそうです。

日本茶の歴史を変えたのが【明菴栄西】とされています。

平安時代末期から鎌倉時代初期の僧だそうです。

日本で初めてのお茶の本、「喫茶養生記」を著されています

僧侶が中国から茶樹の種を佐賀の嬉野から持ち帰り高山寺で栽培され

喫茶として活用されたそうです

茶園として京都から始まり伊勢、伊賀、 駿河、武蔵でも栽培され

一般庶民に伝えられたのです。

もともと中国貿易の拠点が佐賀の嬉野にあり久留米八女に

お茶の発祥地として記念碑として示されています。

確かに静岡~の始まりになつておりますがルーツと流れの始まりは

佐賀の嬉野にあるみたいです。

佐賀県は当初日本の貿易の始まりの拠点でした。

ここから九州、本州、関東と流れて

本格的に栽培されたのが今の静岡だと思います。

千利休(1522~1591)らによって「茶の湯」が完成し

心のゆとり、思考の場、接待の場として

豪商や武士、殿様に献上することで喫茶として浸透したのです。

お茶の製造は宇治田原郷の永谷宗円(ながたにそうえん)が煎茶の祖

で煎茶を生み出し玉露製法手して「宇治製法」と呼ばれ

全国に広まったそうです。

そしてこのころから1858年、江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を結び

1859年、長崎、横浜、函館の開港を機に生糸とならぶ重要な輸出品として茶181トンが輸出

その当時久留米の八女地方の星村地域で栽培と加工手もみ玉露が生産されています。

今では玉露の産地としては八女と宇治しかありません。

高価なお茶として一般庶民にはほど遠くなっている産物です。

貴重な価値あるお茶です。

                        福来茶留あわちゃんでした

日本茶販売を消費者目線からのブレンダーの誇りで 43年間販売一筋に行っております。

福来茶留あわちゃんです。

本業はプロフィールにも記載しております。

日本茶販売を消費者目線からのブレンダーの誇りで

43年間販売一筋に行っております。

環境とニーズの変化で皆様の日本茶に対する

興味感が減少している傾向があるために

培われた日本茶文化について

興味を持って頂き掘り起こすことで日常生活の過程として

健康と美容と日本人とした誇りで生活に取り入れて

頂きたく思っております。

マイカップとマイキュースで趣味感覚で毎日を癒す心とゆとりのお茶しませんか?

今旬の自然の力茶葉の深蒸し茶が絶対のおすすめです。

今日からお茶屋という仕事をはじめた切っ掛けから

スタートして43年間の日本茶文化からお茶に対する知識、経験値をブログに

していきたいと思います。

日本に渡来してきた茶樹が貴族、殿様から一般庶民に普及してまいりました。

この文化の一連の流れを知っていただき日本文化に対する

健康のために衣食住と日本文化で培った生活の見直しの深堀していきたい思いました。

このことを知ることで日常生活に取り入れて頂き

毎日の生活の盾として織り込んでいただけると幸せに存じます。

一度きりのお茶の葉煎じるブレンダーの誉れ選びのつもりで選んでください

作り手の思いがそのまま形になったお茶の葉煎じるブレンダーの誉れ

これから「お茶の葉煎じるブレンダーの誉れ」の話をしようと思います。

眠気も吹き飛ぶお茶の葉煎じるブレンダーの誉れ

人に教えたくないお茶の葉煎じるブレンダーの誇り

あなたのよろこびは、あわじ園のよろこびです。

あわじ園の逆襲2020年始まり

日本茶文化の始まりスタート

お茶文化の歴史についてお話したいと思います。

ご存じでしたか?

中国で発見されたお茶の始まり漢の時代には知られていた。

紀元前2700頃に中国からお茶の歴史が始まりました。

800年前ごろに中国に留学していた僧侶が【この木は薬妙なり】と日本に持ち帰り

安土桃山時代以降に庶民の食文化にも広がったのが始まりだそうです。

世界最古の茶の専門書にある、お茶の歴史、道具、産地、心得など幅広い内容を『茶経』

に記してあるそうです。

平安末期ごろ持ち帰った苗木の茶栽培が始まり

お茶は非常に貴重で、僧侶や貴族階級などの限られた人々だけが口にすることができました

嗜好品として愛飲されるようになり

日本の殿様や武士だけが飲用して喫茶として利用していたそうです。

その当時は庶民には生産も少ないために飲用することできなかった。

釜炒り緑茶が普及して一般庶民の生活の中に普及したそうです。

千利休らの僧侶の活躍により普及されたそうです。

その当時薬草としても健康のために重宝されていたようです

16世紀半ば過ぎ、ポルトガル人が植民地マカオと日本との往来をしている中で、

日本茶文化のことについて海外の輸出されたのもこの時代です。

海外の紅茶の始まりもこの時代だそうです。

ウーロン茶と緑茶と紅茶の違いは製法の違いであり、

原料は同じ茶樹であることが、

1845年に英国人のフォーチュンによって発見されました。

これらの発見により、中国種と新しいアッサム種との交配が進み、

インド各地やスリランカ、バングラデシュでお茶の栽培が盛んになって

紅茶として普及日本は緑茶として普及したそうです。

面白いと思いませんか?世界中で生活に会った環境ニーズで愛飲する方法の違い

中国から始まり世界中に喫茶として普及されたウーロン茶と緑茶と紅茶の関係

奥深いものがあると思いました。

これから日本文化のお茶文化について投稿していきたいと思います。

少しでも日本のお茶文化に興味持って頂きたいからです。

これからよろしくお願い致します。

 福来茶留あわちゃんでした。

日常茶飯事の為になる、知っておきたいお茶言葉

こんにちは福来茶留 あわちゃんです。

今日は雨が降っていまして本店の店番も暇でしたのでブログ書きました。

昔から使われています。日本お茶文化のお茶言葉についてお話してみます。

最近のお茶の情勢の関心のない若い方増えていると思います。

少しでも興味持って頂き日本お茶文化の誉れを知って頂きたいと思います。

知って要れば何かの足しになると思います。

お茶の商品も売りたいしお茶に関しての価値は40年やっているので、かなりあると思いす。
たとえば歴史から皆様の口に入るまでの価値感を教える事出来ると思います。
お茶ばなれの危機をとめることと同時に健康の大事さを教えること出来ると思います。
こんな状態でも時代の流れの便利さにかないません。
でも全国に発信すれば価値を見てくれる人必ずいると思っています。
日本茶文化の良さを解って頂く為のセミナー、飲む時代から食べる時代への移り変わりと
健康茶の普及で環境がかわりつつあるようです。

さて本題ですが、お茶言葉を説明したいと思います。

日本文化の誉れとして覚え、伝えて頂けたらと思います。

【簡単に意味もまとめてみました。】

★茶柱が立つと縁起が良い⇒茎茶、番茶、ほうじ茶などの茎が茶碗の中に立つことで縁起事
の意味

★鬼も十八番茶も出花⇒器量の悪い女性でも年頃になれば色気がつく意味

★朝茶に別れるな⇒朝茶飲まなかったら縁起が悪いの意味

★朝茶の塩⇒塩少々摘むことから、ごくわずかなもの事の意味

★親の甘茶が毒となる⇒子供甘えて育てると将来良くないの意味

★重い物は箸と茶碗⇒何でも他人任せで自分でした事ないの意味

★お茶を挽く⇒ようじがあるのでなく暇な事のたとえで客が来ないの意味

★お茶を濁す⇒適当いい加減なことやそのばをとりつくろうことばの意味

★酒は酒屋に茶は茶屋に⇒能力や適正に応じたプロに任せれば間違いないの意味

★宵越しの茶は飲むな⇒お茶葉は入れたてが一番おいしいが一晩おいた茶は酸化してしまう
ので飲まないほうがよいの意味

★割った茶碗ついでみる⇒どうしようもないね解っていて諦められないの意味

★朝茶に福が増す⇒朝に茶を飲めば難のがれる事できるの意味

★猫も茶を飲む⇒猫でさえ時にはお茶のみ休むことから生意気で身分相応な言動する意味

★朝茶は七里帰っても飲め⇒朝の茶は難除けなので、旅に出て七里歩いたとしても戻って茶
を飲めの意味

★朝腹に茶漬け⇒茶漬けは満腹にならないので、まったくこたえないので、物事がこたえな
ががないがないの意味

こんなふうに日本文化の中で、お茶言葉を使ったことわざ面白いと思いませんか?

今日はこの辺で終わりますが、お茶に関するお悩みございましたら。お問い合わせコーナー

の方で承っていますのでご利用くださいね、、、?

福来茶留 あわちゃんでした。

 

 

 

 

とっておきの風水情報が舞い込んできましたのでお知らせします。

福来茶留あわちゃんです。

今年の新年いかがおすごしでしょうか?

急に寒くなったり、あったかくなったりの気候の変化が体調を悪くしたりしていますが、、、

正月早々に玄の良い話がとどきました。

突然友達から【風水情報】が舞い込んでまいりました。

鹿児島の友達から玄の良いお話です。試してみてください、今年は風水の最高の年だそうです。玄担ぎに試してみてはいかがでしょうか?【風水情報】

ワタシの所に届いたメッセージを、
そのまま転載致しますね。

香港の風水専門家によれば、
今年の2月のような月は、
私たちの人生で二度と来ないと言います。

なぜならば、
月曜日が4日、火曜日4日、水曜日4日、
木曜日4日、金曜日4日、土曜日4日、
日曜日4日、即ち全ての曜日が
4日で構成されているからです。

このような2月は823年に一度発生します。
これをとてつもない長者と呼びます。

それで最低5人や5人グループに
この内容を送れば、
4日以内にお金が到着する事でしょう。

中国の風水によれば、
この内容を読んで、
11分以内に送らなければならないそうです。

皆様~新年にお金持ちになりましょう~

との事でした╰(*´︶`*)╯♡

なので 即!シェア致します"</p

気になる、お茶好きマダムさんの為の茶道場

お茶のあわじ園と申します。

消費者の立場から考えて販売しています。本物のお茶屋でありたいと願っています。

まこごろこめてブレンダーの心意気お伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

あわじ園が自信持って皆様の思いをまごころこめて本物のお茶のブレンダーとしてお届け致します。

あわじ園 まごころ茶商の道
★ああ思えばわが人生都会に出て希望に憧れて
我が身をたてる積りがうまく行かず、故郷帰り
人生立て直し女房もらって乳飲み子すて選ぶ、
お茶修行の道、やっと歩き始めた一歩
あれから40年過ごし見えた我が茶商の道

★私の故郷お茶どころ、修行かさねて茶道の人生
歩き始めた、いばら道、ここまで来た、お客様喜ぶ
笑顔満ちて、まごころこもった茶屋になり
闘志燃やし続け、育て歩いた一歩
日本の文化こころ背負いたい茶道の道

★自慢じゃないが一つ一つ味極めたお茶の道
お客様のもと、届けて喜ばれる若葉育つ新茶
美味しさ、心なじむ、幸せ人生届けてあげたい我が心
ありがとう、我が友、お客様、感謝の心です
 私信じて、続く茶人のこころ、お茶のあわじ園

最後まで購読ありがとうございました。

これから福来茶留あわちゃんと呼んで頂けたら大変うれしく思います

健康の気になるあなたにお勧め、腸が大事

大学名誉教授の藤田紘一郎教授が
「腸もれ」について述べておられます。いつも食べてるものが腸に穴をあけると述べておられるそうです。その食べ物とは、小麦、麺類、などに含まれているグルテン、添加物などの影響で腸に穴が開きそこから、毒素や菌が血液の中に侵入してしまい、アレルギーをはじめ多くの不調や病気を引き起こす原因だそうです。糖尿病、免疫低下、動脈硬化、自己免疫疾患、下痢、食物アレルギーなどの病気を起こしているそうです。まず腸の調子を整えることがいいみたいですよ、
血液の70パーセントは腸で作るそうです。したがって健康な血液作るためには
腸が健康でなければできないと思いますが、そのためには悪玉菌の調整が必要と思われます。乳酸菌、水溶性植物繊維、などの補給をすることで腸の調子が良くなるような気がします。そこから試してみてはいかがでしょうか?
私も現在、乳酸菌と水溶性植物繊維、飲んで腸の調子が好調です。便秘もしません。毎日が快調です。


▲トップへ戻る