それが栄西禅師 お茶を買わない理由であってはいけないと思う。

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福来茶留あわちゃんです。

お茶と関連のある栄西について投稿しました。

建仁寺開山・栄西禅師について

開山千光祖師明庵栄西(みんなんようさい)禅師。

賀陽(かや)氏の子として誕生したそうです。

永治元年(1141年)4月20日、備中(岡山県)吉備津宮の社家、

若いときから仏前の執行かさね

11歳で地元安養寺の静心(じょうしん)和尚に師事し、

13歳で比叡山延暦寺に登り翌年得度、天台・密教を修学します。

そののち、宋での禅宗の盛んなることを知り、

28歳と47歳に二度の渡宋を果たします。

2回目の入宋においてはインドへの巡蹟を目指すも果たせず

天台山に登り、万年寺の住持虚庵懐敞(きあんえじょう)のもとで

5年に亘り修行しその法を受け継いで日本に帰国しました。

その時持ち帰ったのが現在の茶種です

茶色の豆みたいな丸いものです。茶の実と言っていましたが

茶園に行くとたくさん枝元に落ちていました。

可愛い一輪の花が咲きそのあと茶色い実になります。

 

 

ひとつ入り茶の実三つの茶の実ひとつ割れ

茶の花は9月から11月にかけて咲きます。昆虫などによって花粉受粉し、

ほぼ1年後の秋に種子が熟し、地面に落ちます。

1つの実の中に1粒から5粒くらいの種子が入っています。

翌年の春に発芽します

栄西禅師が、中国から茶種を持ち帰り

もう疲れた!という人に勇気を与える栄西禅師

中国から茶種を持ち帰って日本において栽培を奨励しでありたい。

建仁寺開山・栄西禅師が、古く奈良朝時代と思われます

中国から茶種を持ち帰って日本において栽培を奨励され

貴族・僧侶の上流社会の間に喫茶の風が愛用されていました。

茶道の喫茶の法を普及された基本と原点です。

一般の人に対して茶は保健上から良薬であると、伝えられ

茶徳を讃得たのが開山の『喫茶養生記』に書いてあるそうです。

「茶は養生の仙薬・延齢の妙術である」つまりこの茶葉は薬妙なりと伝えられている

ので健康には役立つと思われます。

開山が栂尾の明恵上人に茶種を贈られたことも有名で

宇治の茶は、この栂尾から移され

喫茶として「栂尾茶」の始まり

茶は今日では日本人の日常生活に欠くことのできない飲料であるばかりでなく、

茶道の心得として役立っています

このことを知れば真心こもったもてなしができます。日本の誉です。

喫茶の法、茶樹の栽培、薬効等茶に関する総合的な著述になっています。

我が国にも茶樹がなかったわけでも、喫茶の風がなかったわけでもありません

詳しいことはわかりませんが田舎に行きますと山茶という呼ばれる茶の木があり

自然のものですが日本の西南暖地の山間には山茶と呼ばれる茶の木があり

日本に古来ある自生茶といわれています。

この茶の木が果たして日本 山茶の分布する所には必ずといえるほど

焼畑耕作の形跡があり、

その昔焼畑として茶の木を植えていたことがうかがえます

山茶に限らず日本の茶の木には冬芽が形成されずに

温度条件がよければ何時でも生長します。

冬を知らない芽がない南方の植物になるそうです。

なのでお茶のルーツの始まりの流れがわかっていただけると思います。

つまり佐賀九州に広まり宮崎の日向、高千穂の自然の山茶も有名です。

関東で早いのはわかっていただけると思います。

そんな中こんな説もあります。

 

山茶が焼畑地帯に分布することから日本の山茶は

弥生時代、古墳時代のものではないかと見られる

説があるが遺跡は全くありませんとあります。

最後まで購読ありがとうございました。

                 福来茶留あわちゃんでした。

 

 

 

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