【日本茶紀行のスタイルは眠気も吹き飛ぶお茶の煎じる茶道】
福来茶留あわちゃんです
いつも購読頂きありがとうございます。
茶道【茶の湯】の歴史から現代までの日本茶紀行
日本に茶道を確立させたのは千久だと言われております。
高校歴史でも習ったと思いますがお茶の年代から
現在の茶道に至るまでの歴史を細かく解いてみたいと思います
平安時代に中国から伝わってきたお茶は
薬みようなりと伝えられております。
中国に渡った留学僧が持ち帰ったものですがお茶の葉を丸めて
団茶にして飲用していましたがあまり美味しくなかったみたいです。
その僧侶たちが嵯峨天皇や貴族階級に伝えたのが始まりだそうです。
薬の一つでお茶は漢方薬だったのでしょうか?
その当時は漢方薬が薬だったので、お茶の葉もその中の1つでした。
その後留学した栄西によって抹茶として飲みやすく改善され
喫茶としてもたらされました。
選手寺院を中心に抹茶が普及したのですが
特権階級の人だけが引飲用していた。
その後武家階級に広まり茶道の基盤になったのです。
お茶が娯楽の要素になったのはこの頃からです
節の間でお茶の種類や産地を当てる遊びが始まり
闘茶と言う遊びが流行した
その意味はお茶歌舞伎で博打性の色が濃くなり禁止令も出たほどです
ここで武道と同じく茶の湯、茶道の誕生です
高価な美術工芸品を飾り茶道具を
鑑賞しながらお茶を飲む茶会が行われた
いつの間にか娯楽性の強いものが一般的とあって
僧侶の礼法を重んじた茶の湯わび茶が生まれました
アニメで有名な一休さんはご存知でしょうか?
本名は一休宗純に学んだ村田珠光が茶道具などに
信楽焼、伊賀焼などの焼き物を取り入れた。
この思想は武野紹鴎によって茶道として広まったそうです
その当時堺の商人の千利久が師であり紹鴎が受け継ぎ
豊臣秀吉にめいぜられ侘茶を発展させたのです
茶室の中で戦略家としても千利久は有名です
また信長、秀吉の茶の師匠として活躍したそうです
その後、武士の心得として儀礼として取り上げられた。
お茶の葉を粉にした抹茶を利用した、喫茶としての
茶道の流派が生まれ三千家と他の流派が増えたのです。
利久から始まり表千家、裏千家ととして現在まで続いています。
その後庶民に浸透し茶葉を煎じたものが飲まれていました。
その後宇治地方で玉露茶葉の製法が編み出され
煎茶なら気楽に飲めることから煎茶道が始まり
女性が行う茶会の文化が始まりました。
茶道の習い事として、女性の仕事として昭和初期から
成長したいと言う願望から習い事として招き寄せました。
今は男女差別のない社会の為ありませんが
女性の仕事として職場で活躍しておりました
接待の仕事として、学び社会に君臨しており
当時は接待業務は会社、職場にとって
ビジネス、喫茶として大事なことの業務でした。
茶道について昔から現代までの歴史について
日本茶紀行として書きました。
最後までの購読ありがとうございました。
次の章楽しみにしてくださいね
福来茶留あわちゃんでした。
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