日本最古のお茶のルーツ&ピース。日本最古のお茶のルーツは愛そのもの。
福来茶留あわちゃんです。
★「日本最古のお茶」
あわじ園日本茶紀行
貴方様の名前にも先祖の歴史のルーツがあります。
一生涯の中でルーツぐらいは知りたいと思いませんか?
文化の始まり、当時の生活の在り方。価値など知ることだ
思っております。そのことを次世代に知識として繋ぐことで
日本文化の価値観を思考いただければと思います。
今日は日本茶のルーツがどんな流れで誰が伝えたのか知ることで
日本文化の必要性と生活の為の大切さを知ることで
どんな目的で日本で普及したのか解って頂けると思います。
【あわじ園日本茶紀行お茶を学ぶ人にも家族がいる日本最古のお茶は近づいてこない】
こんな日本最古のお茶、学べるか!と怒鳴られた悔しさといったら!?
お茶の発見は紀元前2700年ころの神農時代であり
中国の神農が野草とお茶の葉を食べていたと伝えられています
また三国時代(3世紀)に中国では茶の葉を餅状に丸めあぶって
搗(つ)き、湯をかけ、みかんの皮、ねぎ、しょうがなどと混ぜて、
他の材料と一緒に煮るスープみたいにして飲まれていたそうです。
平安時代末期から鎌倉時代初期の僧だそうです。
日本で初めてのお茶の本、「喫茶養生記」を著されています
僧侶が中国から茶樹の種を佐賀の嬉野から持ち帰り高山寺で栽培され
喫茶として活用されたそうです
茶園として京都から始まり伊勢、伊賀、 駿河、武蔵でも栽培され
一般庶民に伝えられたのです。
もともと中国貿易の拠点が佐賀の嬉野にあり久留米八女に
お茶の発祥地として記念碑として示されています。
確かに静岡~の始まりになつておりますがルーツと流れの始まりは
佐賀の嬉野にあるみたいです。
佐賀県は当初日本の貿易の始まりの拠点でした。
ここから九州、本州、関東と流れて
本格的に栽培されたのが今の静岡だと思います。
千利休(1522~1591)らによって「茶の湯」が完成し
心のゆとり、思考の場、接待の場として
豪商や武士、殿様に献上することで喫茶として浸透したのです。
お茶の製造は宇治田原郷の永谷宗円(ながたにそうえん)が煎茶の祖
で煎茶を生み出し玉露製法手して「宇治製法」と呼ばれ
全国に広まったそうです。
そしてこのころから1858年、江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を結び
1859年、長崎、横浜、函館の開港を機に生糸とならぶ重要な輸出品として茶181トンが輸出
その当時久留米の八女地方の星村地域で栽培と加工手もみ玉露が生産されています。
今では玉露の産地としては八女と宇治しかありません。
高価なお茶として一般庶民にはほど遠くなっている産物です。
貴重な価値あるお茶です。
福来茶留あわちゃんでした
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