日本茶紀行 お茶の伝来と日本の茶を人生にたとえたら、
福着茶留のあわちゃんです。
いつもご来場ありがとうございます
全国の皆さま私の街、毎日梅雨に入り豪雨の被害、地震
コロナウイルス問題と環境の悪化が続いております。
生きる為の生活に大変な思いされていることと存じます。
このたびの災害により被災された皆様ならびにそのご家族の皆様に
心よりお見舞い申し上げます
皆様の安全と被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げますとともに
復興に尽力されている皆様には安全に留意されることで
ご活躍されることをお祈り申し上げます。
チョットした気回しで間をとることも必要だと思います。
こんな時に疲れを癒してくれたり休息のための喫茶が役に立ちます。
【あの時一息ついていればこんなことなかった】
日本茶の文化は一家団欒、ビジネス、真心、休息のための原点だと思います。
生活の中にアロマ効果、癒し効果と利用できるものだと思っています。
こうやって昔から文化てして認識されております。
さて本日は茶の伝来日と本の茶について述べたいと思います。
茶書の最古の陸羽(りくう)があらわした「茶経(ちゃきょう)」があります。
内容は茶の種類、産地、茶器、煮方・飲み方など
飲茶全般についての百科全書となっています。
当時のお茶は簡素なもので団茶といって、茶葉を蒸して丸めたものを乾燥させて飲茶として使用していました。
碾(てん)という薬研(やげん)でこなにして沸騰した湯に少しの塩を加えてこなにしたお茶を
いれて竹箸でかき混ぜて茶碗に注いで飲むものでした
「茶経」は水の沸かし方湯の沸き具合などを細かく記載してあり
飲茶そのものを文化的な方法を作法でまとめた著書です。
そのころ中国ではすでに飲茶が習慣として生活に広く行きわたり
利用されているとしたためてあるそうです。
日本に飲茶の記録として嵯峨天皇が近江(おうみ)国韓崎今の大津市唐崎に
梵釈寺で行幸したとき、崇福寺の僧侶大僧都永忠(えいちゅう)が
お茶を煎じて天皇にさしあげたことから
喫茶は寺院の儀礼的なものにとどまり、一般的にはつたわってなかった。
そして飲茶が薬用としてするために団茶を粉末にして竹で作った茶筅で
かき混ぜてのでいたそうです。
これが茶道のはじまりで日本だけにとどまり
挽茶(ひきちゃ)あるいは碾茶(てんちゃ)といって粉末にした緑茶でした。
中国では宋代の時だけ行われ明治以降行われなくなったそうです。
栄西は源実朝に「喫茶養生記」(養生の仙薬・延命の妙術なり)
献じて茶の薬用を説くことで喫茶が武家の文化にひろめたそうです。
その後習慣は一般の社会にひろまり薬用とされておりましたが
いろんな加工の方法で大量に栽培され庶民てきな飲用として
利用されるようになりました。
室町時代には茶道文化が生まれ煎茶として緑茶が日常茶飯事として伝来し
米飯を常食とする日本人が、お茶や梅干しを大切にして
仕事の合間に「お茶の時間」をとって疲れを癒したのです。
これが日本人の生活の知恵、知識、文化となりました。
地方によって生活水準が違うために
お茶の製法、飲用方法が違ってるみたいです。
世界、日本茶の加工と種類と飲茶
★中国 ウーロン茶 【半発酵茶】
★インド、オランダ 紅茶 【発酵茶】
★日本 緑茶、玉露、煎茶、釜茶、抹茶、
高知県の 【碁石茶】
徳島県の 【阿波番茶】
富山県の 【黒茶などの発酵茶】
八女、静岡の 【玉露】
嬉野、熊本、宮崎高千穂、日向の 【釜炒り茶、青柳茶】
このようにお茶の流通によって栽培法、もちいる茶葉の部位、製茶の仕上げ方
と種類の茶が作られ土地風土に合った好みの飲用の方法も違っている
思われます。なのでお茶には土地風土の生活にあった飲用がされているようです。
もし貴方様が一番おいしいと感じられるお茶には生まれながらの地方文化で育った
お茶と種類が知識と知恵となって頭のなかにあると思います。
お茶を飲みながら一家団欒の時に故郷を思い出しながら喫茶することで
生活に会った飲み物として環境にあったお茶が愛用されていると思います。
これが日本茶文化の誇りと言えます。
最後までの購読ありがとうございます。
福来茶留あわちゃんでした。
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